ろくろ首
今から五百年近く前のこと、しかし怪龍はいつでも聖職者の
最初の長旅の道筋で、怪龍は
横になると間もなく、斧と大きな薪の束を背負った男が道沿いにやって来た。この
「あんたは一体どういうお方ですか、だんな、こんな所にわざわざ独りで寝ようなんて……この辺りは
「ご同輩、」怪龍は快活に答えた。「
「なるほどあんたぁ
真剣に話したので、怪龍はその男の親切な口調に好感を持ち、この控え目な申し出を受け入れた。樵は街道を上り山林を通って先に立ち小道伝いに案内した。それは──時に断崖に張り付き──時には滑りやすい木の根が網のように張った所にしか足の置き場がなかったり──時にはギザギザの岩の間をよじ登るかくねり上がる──荒れた物騒な道であった。しかし
怪龍が案内人と共に小屋へ入ると、広間を占める
「親切なお話と、家族の方達がとても礼儀正しく歓迎して下さったことから、あなたは元から樵であったのではないと想像しています。おそらく以前は高い身分のひとつに属していたのではありませんか。」
微笑みながら樵は答えた──
「だんな、あんたは間違っちゃいませんよ。今はご覧の通りの暮らしをしていますが、かつては
怪龍はこの立派な決意の告白に満足して、主に言った──
「ご同輩、若い頃に愚かな行いをした人が、年月を重ねた後に極めて真面目に正しく暮らすようになるのを、見てきました。最強の悪行は、立派な決意の力によって、最強の善行となせる、尊い経典にはそう書かれています。あなたが立派な心の持ち主であると疑いませんし、より良い運命がやって来るよう願います。今夜、あなたのためにお経を読み上げ、過去の過ちによる因縁に打ち克つ功徳を授かるよう祈りましょう。」
このような申し出と共に怪龍が主におやすみの挨拶をすると、主人は既に寝床の用意が整った非常に小さな横の部屋へ案内した。それから行灯の灯りで読経を始めた坊主を除いた皆が眠りに就いた。深夜になるまで読経と祈りを続け、それから横になる前に景色を眺めようと、狭い寝室の窓を開けた。その夜は美しく、空には雲ひとつ無く、風も無く、強烈な月の光が木々の葉の鮮明な黒い影を投げ落とし、庭の露を輝かせていた。コオロギと鈴虫の甲高い音が調子の良い騒めきを作り上げ、近くの滝の音は夜と共に深まっていた 。怪龍は水の騒めきを聞いているうちに喉の渇きをおぼえ、家の裏の竹の水路を思い出し、そこなら眠っている同居人の邪魔をせず水を飲めると思った。居室を隔てる襖を非常に穏やかに押し開くと、行灯の灯りで横になった五つの体が見えた──頭は無い。
一瞬の間当惑した──犯罪を想像したからだ。また瞬時に、血は流れてはいないし、頭の無い首は切られた後には見えないようだと認識した。そうして考えを巡らせた──「これは妖怪が作り出した幻覚か、ろくろ首の住みかに誘い込まれたのだろう……
主の体の足を握り、窓まで引っ張り、外へと押し出した。それから裏口へと回り、そこが閉じられているのを確認し、頭達は開いたままになっている屋根の煙穴を通る経路を出口にしていると推察した。ゆっくりと扉を開け、庭への経路を確認し、木立の向こう側の存在へ、考えられる限りの用心をして進んでいった。木立の中から話し声が聞こえてくると、声を目指して──こっそりと影から影へ丁度いい隠れ場所に到達するまで──進んでいった。そうして幹の後ろから頭達が──五人全部──ひらひら飛び回り、
「ああ、今夜来たあの旅の坊主──なんとまあ太りきった体だ、あいつを食べれば、俺達は気持ち良く満腹になるだろうよ……だが過去を話した俺は馬鹿だった──俺の魂のためにお経を読み上げるように仕向けてしまった。読経をしている間は近づくのが難しいだろう、祈り続ける間は手出しができない。だが今はもう朝方近い、あいつも眠っているだろう……誰かひとり家に戻って何をしているか見てこい。」
別の頭が──若い女の頭だが──すぐさま蝙蝠と同じように軽々と飛び上がり、家の方へひらひらと飛んでいった。少しの間を置いて帰ってくると、警報器が鳴るように大きく、しわがれ声で叫び出した──
「あの旅の坊主は家には居ませんぜ──あいつは出ていった。だけど、それは大した問題じゃあ無い。あいつは主の体を持っていって、それを
この報告がなされると主の頭は──月明かりの中で明確に見えたが──目を醜く拡げ、髪を逆立たせ、歯を軋らせた恐ろしい形相を現した。唇から叫びが爆発し──憤怒の涙を流して泣き──大声で叫んだ──
「体が動かされてしまったからには、繋ぎ直すことはできなくなった。俺は死なねばならん……全てを通してあの坊主の仕業だ。死ぬ前にあの坊主を捕まえて──引き裂いた上で──むさぼり食ってやる……あいつが居るぞ──あの木の後ろだ──あの木の後ろに隠れているぞ。見ろあいつを──臆病者のデブが……」
その瞬間に主の頭は、他の四人の頭を従えて怪龍に飛びかかった。しかし怪力の坊主は若木を引き抜いて武装し、その木でやって来る度に頭達を打ち叩いた──とてつもない打撃で叩きのめした。四つの頭は飛んで逃げた。が、主の頭は何度も何度も打たれまくり、必死になって弾んでは向かい続け、とうとう衣の左側の袖を捉えた。しかしながら怪龍は素早くその頭の
まだ袖に頭をぶら下げたまま家へ引き返すと、体を取り戻して頭に傷を負い血を流してうずくまる、四つのろくろ首を視界に捉えた。しかし彼に気がつくと裏口から全てが金切り声をあげた。「坊主だ、坊主だ、」──そうして別の出入口を通って木々の中へ逃げていった。
東の空は白み、辺りは明るくなり始め、怪龍は暗い時間の妖怪達の力が
さて、旅の方はというと、信濃の諏訪までやって来て、肘に頭をぶら下げたまま、諏訪の大通りを堂々と闊歩していた。女達は気絶し子供達は悲鳴を上げて逃げ出し、群衆は捕り手(この頃は警察のようなものをこう呼んだ)が坊主を捕まえて牢屋に入れるまで騒めき続けた。その頭が殺された人の、死ぬ間際に人殺しの袖を歯で捕まえた頭だと推測したからだ。怪龍は微笑むだけで問いかけに何も言わなかった。そのように牢獄で夜を過ごした後で、その地区の奉行の前へ引き立てられた。その時、聖職者の身でありながら、
怪龍はこれらの問いかけに長らく大声で笑ってから言った──
「皆様、その頭は袖に取り付けたのではありません、それ自身がそこに飛びついて来たのです──儂の意思に大きく逆らって。それに、どんな罪も犯しては居りません。それは人の頭ではなく、妖怪の頭なのですから──妖怪に死を与えたのですが、それは流血沙汰をしたのではなく、単に我が身を守る為に当然の用心をした
しかし奉行達は笑わなかった。札付きの犯罪人が、その話で良識を侮辱していると判断した。その結果、詮議に時間をかけず直ちに死罪に処すべきと決めた──たいそう年老いたひとりの男を除いた全員である。この老いた役人は審議の間ずっと見解を述べずにいたが、同僚の意見を聞き終えた後に立ち上がり言った──
「手始めにその頭を慎重に吟味しようではないか、思うにこれには、まだ何もしていないのだから。もしその僧侶の言葉が誠ならば、頭自体が証拠となろう──頭をここへもって来い。」
それから頭は、まだ歯にくわえた衣ごと、怪龍の両肩から脱がされ、鑑定人の前へ置かれた。老人はそれをぐるぐる回して注意深く観察し、首のうなじに幾つかの不思議な赤い文字を発見した。これについて同僚に注意を呼びかけ、そしてまた首の縁は凶器で切り取られた痕跡が、何処にも存在しないのを確認するよう命じた。逆にその切り口は葉っぱが自然に根元から離れた跡のようになめらかであった……それから言った──
「話に事実から外れた物は無いと真実確信した。これはろくろ首の頭だ。本物のろくろ首のうなじには決まって赤い文字が見つけられると、確かに
「正しい推測です。」怪龍は答えた。「僧職に就く前は、長きに渡って武芸を仕事とし、その日々は人や魔物を決して恐れませんでした。その頃の名前は九州の磯貝平太左衛門武行、憶えている人も中にはいらっしゃるのでは有りませんか。」
名前が口にされると審議の部屋は、それを記憶していた多くの出席者が居たため、感嘆の騒めきに包まれた。そして怪龍がすぐに気が付いたのは、裁く側から代わった友人達に囲まれる自分であった──友人達は兄弟のように親切な思いを
そして今では頭がどうなったかという話だけが残っている。
諏訪を離れてから一日か二日後に怪龍は追い剥ぎに
怪龍は答えた──
「どうしてもと言うなら頭と衣をゆずらんでもないが、こいつは人の頭じゃあないと言っておかねばならん。こいつは妖怪の頭だ。こいつを買ったせいで何か厄介事に巻き込まれたとしても、どうか
「何と愉快な坊さんだ、あんたは。」興奮して追い剥ぎは叫んだ。「あんたは人を殺して、そいつを冗談にする……だけど俺は本当に真剣だ。ここに服、そしてこれがお金だ──さあ頭をくれ……何でふざけるんだ。」
「持って行け、」怪龍は言った。「ふざけてはおらん。ふざけているとすれば──これまでで、いくらかふざけが有るとすれば──妖怪の頭に結構な金額を払う全く馬鹿なお前だ。」そして怪龍は大声で笑いながら立ち去った。
このようにして追い剥ぎは頭と衣を手に入れて、時々街道で妖怪坊主を演じた。しかし諏訪の周辺までやって来て、頭の現実の来歴を耳にしたところ、ろくろ首の魂が厄介事を引き起こすのではないかと恐ろしくなった。そうして頭をもと居た場所へ返し、体と共に埋葬しようと決心した。何とか甲斐の山々の人里離れた小屋を見付けたが、そこには誰も居らず、体も見付からなかった。仕方がないので頭だけを小屋の裏の木立に埋葬し、墓の上に石碑を建て、ろくろ首の霊魂の功徳になるようにと、施餓鬼供養を執り行った。そしてその石碑は──ろくろ首の石碑として知られ──今日でも目にできる(少なくとも日本の語部はそう主張している)。