耳なし芳一の話 今から七百年あまり前、下関海峡の壇ノ浦で平家と源氏の間で長きに渡る争いの最後の戦いが行われた。そこで平家は女も子供も今では安徳天皇という名で記憶されている幼い帝もことごとく滅びさった。それ以来その海と海沿いのあたりでは七百年のあいだ亡霊がさまよっていたという。 |
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[1]この珍しいカニの説明は拙著「骨董」を参照されたし。 [2]または下関、この町は馬関の名でもよく知られている。 [3] 琵琶、四つの弦を持つ弦楽器の一種で、主に叙事詩の読誦に使われる。かつて平家物語や他の悲劇の歴史を読誦する職業的吟遊詩人は琵琶法師と呼ばれた。この名称の起源は明確ではない。しかし、琵琶法師と盲目の洗髪者は仏教の僧侶(法師)のように髪を剃っているという事実によって推測する事ができる。琵琶は撥と呼ばれる通常角で作られたピックによって演奏される。(訳注:琵琶の撥は通常木製で、三味線の撥は象牙や水牛の角で作られます) (1)この応答は相手に丁寧に聞こえます。 [4]門を開ける意味のうやうやしい言葉使い。侍が主君の門の守衛番に入場許可を得るため呼ぶ時に使われた。 [5]こうも表現できるかもしれない「その行は最もpityが深いのですから」。日本の言葉でpityの原文は「あわれ」。 [6]「忍びのご旅行」は原文の言い回しでは少なくとも「変装した尊い旅行」という意味がある。 [7] 小本のブラジュニャーパーラミターフリダヤスートラは日本語でこのように呼ばれている。般若波羅蜜多(超越した知識)という小本と大本それぞれの経文は故マックス・ミューラー教授によって英訳されていて、その11-9章で見る事ができる。東洋の聖典(大乗仏教の経典)の魔術的な文字の使い方はこの物語に記述されているように注目する価値があり、経典のその章は空観の教義である。全ての現象や実体の非現実的な性質について、その言うところは「形ある物は空であり、空は形である。空は形から生じた物とは異ならず、形は空から生じた物とは異ならない。形とは何か、それは空である。空とは何か、それは形である。知覚、名、概念、理解もまた空である。目、耳、鼻、舌、体、心は存在しない。しかし意識の覆いが全て消え去った時、その人[求道者]は全ての恐れから自由になり、変革の達する彼方に究極の涅槃を享受する。」 |