青柳の話
文明年間〔1469〜1486年〕能登の領主友忠が二十歳くらいの頃、畠山義統の血族で京都の偉大な大名、
一年の内で最も寒さが厳しい頃に出発したので、土地は雪で覆われ、力強い馬に乗ってはいたが、ゆっくりと進まざるを得ないと分かった。たどり進む山岳地帯を通る道は、人家は疎らで遠く離れていて、旅の二日目には、馬に乗るのに疲れたあげく、予定の休息場所には深夜になるまでたどり着けないと分かって狼狽した。気がかりな理由が有った──猛烈な吹雪がやって来て、激しく冷たい風を伴い、馬が疲労の色を見せていたのだ。しかしその難儀な瞬間、友忠は柳の木が繁る近くの丘の頂きに、思いがけず小さな家の茅葺き屋根を見つけた。やっとの思いでその民家まで疲れた馬を急かせると、風除けに閉じられた雨戸をけたたましく叩いた。ひとりの老婆が戸を開けると、凛々しい旅人を目にして同情するように叫んだ。「まあ何てお気の毒に──こんな天気の中お若い殿方がひとり旅だなんて……若様、お入りなさいませ。」
友忠は馬を下り、裏の小屋へ馬を連れて行き、小さな家に入ると、そこには老いた男と娘が竹切れを火に
老いた男が言った──
「お武家様 、隣村まではたいそう離れており 、雪は激しく降ります。風は身にしみ、足元はとても悪うございます。ですから、今夜これより先に進まれるのは、危険でしょう。たとえこのあばら家はあなた様が留まるに相応しくないと致しましても、満足なおもてなしができませずとも、きっと今夜この粗末な屋根の下に留まるのが安全でございましょう……馬のお世話もしっかり致します。」
友忠はこの謙虚な申し出を受け入れた。──若い娘をまだ目にしていられる幸運を密かに喜んだ。やがて粗末ではあるが充分な食事が前に出され、お酌をしに、娘が衝立の影からやって来た。今度は粗末だが清楚な手織りの着物に着替え、長い乱れた髪はきちんと櫛を通して滑らかになっていた。盃を満たしに前へかがむと、友忠がこれまで見てきたどんな女も比較にならない美しさを悟り
「訪ねつる、
花かとてこそ、
日を暮らせ、
明けぬにおとる
あかねさすらん」
〔訪ねて行こうとする道で、見つけたのは摘む花となる物、だからこそここで日を暮らす……どうして夜明け前は、暁を濃い赤に染めねばならぬのか──それが全く分からない〕
少しの
「出づる日の
ほのめく色を
我が袖に
包まば明日も
君やとまらん」
〔もし私の袖で、夜明けの太陽の
こうして友忠は想いが受け入れられたのを知る、そして歌によって伝えられた確かな気持ちを大いに喜んだが、それよりも詩歌の感性を言葉にする技量に少なからず驚かされた。今確信した、この世の全てにおいて目の前の田舎の乙女より、更に美しく気が利く娘に会う望みは無かろう、まして得るなど、急き立てるように心の声が叫び出したように感じる「神々がお前の道に置いた幸運をつかめ」要するに魅了された──どんな具合に魅了されたかというと、後先考えずに、老人達に娘さんを嫁に下さいと申し出──同時に名前と家柄、能登の領主の家臣としての身分を伝えた。
彼らはたいそう驚き感謝し感激し、目の前で膝をつき頭を下げた。が、少しの間明らかに躊躇した後、父親が返事をした──
「お武家様、あなたは高い身分にあるお方で、更に高い所まで昇ってお行きなさるとお見受けします。もったいないお申し出は身に余る物でございます──まったく、感謝の深さを表す言葉が見つかりません。ですがこの私共の娘は下等な生まれの愚かな田舎娘で、一人前の
朝になる前に嵐は過ぎ去り、雲ひとつ無い東の方から明るくなってきた。もし青柳の袖が暁の薔薇色の赤さを、愛する者の目から隠してさえ、これ以上長く留まることはできなかった。しかし一緒にお役目を辞退する訳にも行かないので、旅の準備の全てを整えると、両親にこのような申し出をした──
「これまで受けた以上を求めるのは、恩知らずに見えるかも知れませんが、娘さんを嫁に下さいと重ねてお願いせねばなりません。今となっては娘さんとは離れ難く、お許しが有れば快く付き添ってくれますから、同意の元に連れて行けます。もし彼女を下さるなら、あなた方をこれから両親同様大切にするでしょう……それから、親切で温かいおもてなしへの僅かばかりのお礼をどうかお受け取り下さい。」
そう言いながら控え目な主人の前に小判が入った財布を置いた。しかし、老いた男はたいそう平伏した後で、穏やかに贈り物を押し返して言った──
「親切なご主人様、お金を私共のためにお使いなされてはなりません、長く寒い旅の間で、きっと必要でございましょう。ここでは買う物がございませんし、それほど
老人達に贈り物を受け取るよう説得する試みは徒労に終わり、お金に関心が無いと分かった。しかし、老夫婦は娘の運命を彼の手に委ねるのを切望していると知ったので、連れて行く決断をした。そうして彼女を馬に乗せ、老いた両親に誠実な感謝の言葉を沢山伝えながら暇乞いをした。
「若様」父親が返事をした。「感謝するべきなのは、あなた様ではなく、私共なのです。娘を思いやって下さると信じていますから、心配は有りません……」
〔ここで日本の原話には、物語の自然な成り行きの中で、おかしな断裂が有る、というのはその場面から奇妙に一貫性が無くなっている。この先では、友忠の母親や青柳の両親や能登の大名については何も語られていない。明らかに筆録者はこの時点で仕事に飽きて、かなり投げやりに、驚愕の最後のために話を急いだのだ。手抜きの埋め合わせや構成の欠陥の修復はできないが、
……当時の侍は領主の同意が無ければ結婚を許されないが、友忠は役目を完了する前では、この承認を得る期待は出来なかった。彼の考えは、そのような事情の下で、青柳の美貌が危険な注目を招く恐れがあるかも知れず、それは彼女を
友忠は悲しみの余り言葉も無かったが、無力な自分を知っていた。遠く離れた大名に仕える身分の低い使いの者で、役目の途中の彼は、より強大な力を持つ大名の裁量の内に有り、その思惑には逆らいようが無かった。その上友忠は自分が愚かな行いをしたのに気が付いた──自身で不運を連れて来た、内縁関係に入る、それは武士階級の規則で禁止されている。しかし、今は望みがひとつ有る──絶望的な望みだが青柳にはできるかも知れない、自らの意思で抜け出して共に逃げ去るのだ。長らく考えこんだ後、手紙を送ってみる決断をした。その試みは危険であろう、もちろん書き物を送れば見付けられ大名の手に渡るだろう、恋文を屋敷の囚人へ送るなど許し難い罪だ。しかし、不利は承知の上で決断し、漢詩の書式で手紙を書き上げ、彼女の元へ届くよう努めた。詩は二十八文字だけで書かれた。しかし、この二十八文字に深い愛情の全てを表現し、喪失の痛みの全てをそれとなく書き込んだ──
公子王孫逐後塵
緑珠垂涙滴羅巾
候門一入深如海、
是従簫郎是路人 これより
〔密接に、一心に若々しい王子は今宝玉に輝く乙女の後を追う──
けれど御領主はそうした姿に夢中となり──想いの深さは海の如し
ならば
この詩を送った翌日の晩、友忠は細川候の前に姿を見せるよう呼び出された。信頼が裏切られたと直ぐに勘づいたが、もし手紙が大名に見られたのなら、厳しい処罰から逃れる見込みは無い。「すぐに我が死の命令が下されよう、」友忠は思った──「だが青柳を取り戻せぬなら、命なぞどうでもいい。それに、処刑の宣告が下るなら細川殺しに挑むくらいはできる。」両刀を帯に差し、屋敷へ急いだ。
謁見の間に入ると壇上に座る細川候が、烏帽子と儀式の衣装をまとった高位の侍に囲まれているのが見えた。皆は彫像のように押し黙り、友忠がお辞儀をしに前へ出る間、その静寂は重く不吉に見えた。まるで嵐の前の静けさのようであった。しかし不意に細川は壇上から降りて手を取り、詩の一節を繰り返し始めた──公子王孫後塵を逐う……」友忠が見上げると、若殿の優しい目が涙で潤んでいた。
そこで細川が言った──
「お前達がそこまで深く愛しあっているなら、親族の能登の領主に代わって、拙者が責任を持って婚礼を許そう。それから婚礼は今拙者の前で挙行させてやる。賓客は集めた──引き出物の準備も整っている。」
領主の合図と共に、襖が押し開かれその先に隠されていた座敷で友忠が見たのは、式典の為に集められた屋敷中の高位高官と、婚礼衣装を着飾って待つ青柳……そして婚礼は豪華で喜びに満ちた──若殿と一族の面々から若い二人への貴重な贈り物であった。
***
婚礼から五年まで友忠と青柳は共に幸福な暮らしをした。しかしある朝青柳は、家庭の諸事について夫と話している時、突然大きな苦痛の叫び声を上げ、真っ白になって動きを止めた。しばらくして弱々しい声で言った。「このような無作法な叫び声を上げた私をお許し下さい──この通り突然痛み出したものですから……愛しいだんな様、私達の結婚は前世の幾つかの因縁を通してもたらされたに違い有りません、それは幸福な関係でした、私は思うのです、来世でも再び一緒になれるでしょう。けれど、今生に贈られた存在の私達、その関係は今終わりました──私達は離れ離れになります。唱えて下さい、深くお願い致します、念仏の祈祷を──私は死ぬのですから。」
「おいおい、なんて奇妙ででたらめな空想だ。」驚いた夫 が叫んだ──「少し具合が悪いだけだ、おまえ……しばらく横になって休みなさい、それで病気は直るだろう……」
「いえ、いえ」答えを返した──「私は死にます──それは空想では有りません──分かります……そして今となっては必要の無い事を、愛するだんな様、長い間隠していた真実を──私は人では無いのです。木の魂が私の魂──木の心が私の心──柳の生気が私の命。そして誰かが、この無慈悲な瞬間に、私の木を切り倒しています──そのため死は逃れられないのです……泣くことさえ今の力では叶いません──早く、早く、唱えて下さい念仏を、私のために……早く……ああ……」
もう一度苦痛の悲鳴と共に美しい顔をそむけ、袖の陰に顔を隠そうとした。しかし、ほとんど同時に不可思議極まりない具合で姿全体に陥没が現れて、下へ沈み、下へ、下へ──床と同じ高さになった。友忠は彼女を支えようと駆け寄った──が、支えられる物は何も無かった。畳の上には中身の無い美しい何物かが着ていた着物とその髪に着けていた飾り物、体は存在を終えた……
友忠は頭を丸め、仏教徒の誓願をし、放浪の僧となった。帝国全土を旅して回り、聖地に滞在した折りは、欠かさず青柳の魂への祈祷を捧げるのであった。巡礼の行路で越前に到着した時、最愛の人の両親の家を探し歩いた。その時人里離れた丘の頂の彼らが住んでいた場所に到着したが、小さな家は消失しているのが分かった。建っていた場所のしるしになる痕跡すら無く、他には柳の木の切り株──二つの老木と若木がひとつ──それは訪れる遥か以前に斬り倒されていた。
この柳の木の切り株の傍らに、徳の有る様々な文字を彫り込んだ慰霊の墓標を建て、そこで青柳とその両親の功徳を願って多く仏教の法要を営んだ。